荒野より君に告ぐ

さて、前回の投稿から日もたいした隔たりを見せず、僕にしては上出来な滑り出しなのでつい、もしかしたら僕こそが後に伝説と呼ばれるブロガーとして名高いRuviskoなのではなどと嘯きそうになったが、そんな自己賛嘆の痛々しい駄文を書かずに済みそうな発見をした。

 

ツイッターと違いここでは140字の制限がないため、書こうと思えば際限なくその自意識は広がりを見せる。当然ながら文章にはまず主題があって、文と文の論理的繋がりがなければ文章は成立しないのである。僕は140字の軛を外れ、ようやく真っ新などこまでも続く南極の雪原のような原稿を前に自由の新風を吸い込んだ。これがブログ開設当初。ところがふとその洋々たる広がりは容赦なく南極海へ陥れる間隙や淡雪に表面だけ隠されたトラップアイスの存在しうる範囲でもあるのだと気づくのだ。吹雪は視界を遮り前後不覚、時すでに遅し。つまりこの自由を装った雪原は校正と推敲の及ぶ範囲に限定され、自由がかえって不自由を生む典型例に僕はまんまと引っかかってしまったのだ!

 

誰も見ないであろうこのブログでも、ツイッターと連携しなければ、こっそりインターネットから葬り去ることができたのだ。しかし、なんたる不覚、なんたる忸怩、衆目を集めようとすでに連携まで済ませているではないか。これではやめようにもやめれない。

 

推敲は5回10回しても誤字脱字、不十分な表現、冗長で非論理的な表現が数多く散見され、世の編集者、校正担当の御目はきっと高度2000メートルから柿と杮(こけら)の違いを寸分たがわず見つける鷹の鋭さに違いない。

 

しかしながら、我が社の文筆家と編集者は2人で1人、2/2なので文章の稚拙さは時間が徐々に改善してくれることを期待しつつ、保母のような暖かい眼差しを持って見逃して頂けると助かります。いや、もっと嬉しいのはこっそり指摘してくださることで、そんな慈悲深い恵みを施された暁には、僕は吹雪の中で拾われた子犬のようにクーンと鼻を鳴らし、あなたに忠誠を誓うでしょう(チョロい)